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浪人短し遊べよ乙女

 

 

 

これから受験生になるジャニヲタのみなさん、必死に勉強に励んでください。

 

 

 

 

 そしてこれから浪人生になるみなさん、心配することはありません。

疲れたらためらわずヲタ活してください。

 

 

 

受験シーズンもひと段落し、ジャニヲタの受験についてブログを書かれている方をお見かけしますが、どうやら現役生ばかり…人口は少なくとも浪人生になる方もいらっしゃるだろうということで少し私の経験を書いておこうと思います。

 

 

 

 

浪人生は「落ちる」ことを知っているから、現役時代本気でやってきた人ほど辛いと思います。

このブログを見てくれた人に伝えたいのは、その辛さから逃げることがあったっていいじゃない、ということです。

 

 

 

 

高校3年の3月、人生終わったと思った。2週間くらい引きこもった。

第一志望はもちろん、落ちに落ちて結局合格したのは全く行く気のなかった滑り止めのみ。それでも自分にあと1年頑張る覚悟と気力はなかったから死んだ顔をしながら現役で進学した。

 

 

しかし4月になっても5月になっても気持ちは変わらず、6月には他の目標ができたので「やーめよ」と軽く決意できた。(置かれた場所で咲けなかった)

誰にも相談はせず、諸々の手続きを済ませ退学書類と予備校の書類を持って両親に土下座した。

 

 

7月には正真正銘の浪人生となり、気合を入れて勉強を始めようと思った、が、もちろんできなかった。当たり前だ、少なくとも4ヶ月はまともに勉強していない。

しかもここで失敗したのは私大文系から国立理系に志望を変えたことだ。数学と理科が増えた。高校1年ですでに私大文系を目指していた、正確には志望することを諦めるほど理系が壊滅的だったから、何年ぶりの理系科目だっただろう、計算できないが二次関数を乗り越えなければならない時点で心は死んでいた。

 

 

夏期講習はまぁまぁ頑張った。いや割と頑張った。毎日毎日問題集を解き、必死で生物のわけがわからないカタカナを覚えた。

夏の模試で第一志望がE判定、心が折れて、これ以上やっても変わらないと勉強するのをやめた、というか生活の中心を勉強にするのをやめた。

 

予備校には週1程度しか行かなくなり、毎日お昼に起きてダラダラと生活していた。

そしてあの日がやったきた…

 

 

 

 

 

 

 

 

え、これ有岡くん?前髪スッカスカでトサカみたいな頭してた有岡くん???????????????????????????

 

火曜のお昼、4チャンネル、突如としてジャニヲタとしての人生が再スタートした。

 

2012年を最後に現場を離れ、ノージャニヲタライフを満喫していたが、2年経ってまさかこんな形で再会するとは…

浪人生は孤独だ。現役時代、耳に穴が空くほど受験は団体戦だと言われていたのに、浪人生になった途端受験は個人戦だとか言い出す。何言ってんだマジではっ倒すぞ。

とにかく何か楽しみがほしかったので、これはちょうどよかった。ハマる他ない。

 

空白の2年を埋めるべくとにかく必死に情報収集した。夏期講習より頑張った。参考書の代わりにアイドル誌を読んだ。なんなら予備校で読んだ。

一度ジャニヲタをやっているということはつまり、ジャニヲタのあれこれを知っているということだ。頭の中にスムーズに情報が溜まっていく分、それまでのエネルギーが一気に放出して、時間も心もそれに奪われた。赤本はいつまで経っても綺麗なままだった。まぁそんなことはどうでもよかった。

 

 

お気づきの方もいらっしゃるだろうが、完全なるニートである。

 

ツアーはさすがにと諦めたがTwitterを開設し、時間が有り余っているのでとにかく動画を漁った。加えて回顧の衝動にかられ、当時VHSで録画していた小クラや平成ファミリーズを楽しく鑑賞していた。ちなみに今、一番の後悔はツアーをパスしたことだ。

 

季節が冬になる少し前、「そろそろやばない…?」とようやく気がついた。1日の勉強時間の平均は約3時間で、最悪10分とかもあった。やばない??

とにかく理系科目が目に余る出来だったので、できるだけ多くの問題に触れ、自分の得意不得意を分析した。時間がないので基礎だけを頭に叩き入れ、得意な文系科目は息抜きに、昼食中に英語と古文の単語帳をパラパラとめくった。休憩中はもちろんTwitterとYou◯ubeだ。いつだって山田くんは画面の中から微笑みかけてくれる。私は山田くんと一緒に、合格を手にする、本気でそう思った。

ここまでで計画性のない人間だということは明らかと思うが、全くその通りである。人間というのはそう簡単に変われない。

 

 

 

12月、疲れた。

努力はしていても周囲のそれには値しない。終わりが見えない受験勉強、やめてやろうと何度も思ったが、ジャニーズカウントダウンが私を待っている。リアルタイムで見るためだけに生き延びたと言っても過言ではない。

山田くんはいつ見ても綺麗だ、そこに至るまでの努力、葛藤、全て見える。それなのに私はいつまで経ってもプータラプータラしてるニート。同じ人間なのにどうしてこうも違うのか。果たして本当に私は人間なのだろうか。

 

 

 

年が明けて、絶望的な成績と知識量に驚いた。本当にやばいとしか形容できないやばさだった。

山田くんが雑誌で語った内容全部わかるのに 、歌詞ならすぐ覚えられるのに、なんで暗記はできないんだ。それでも脳内で山田くんが頑張れと言うから、泣きながら勉強した。

 

 

 センター試験当日、れでぃ〜ご〜〜っと家を飛び出し、ウェルカムトゥマイワールドッッとか歌いながらとにかくテンションをぶち上げた。

 そしてコンパスローズを聴いて号泣。浪人生の精神状態は想像を絶する。

 

 

 

 

自己採点は期待通りのものだった。私大一般もトントン拍子に進んで、結果、第一志望の大学に合格することができた。

 

 

 

 

 

 

受験勉強はケジメが大切だと言う。しかし生活の一部となっているジャニーズにケジメをつけろというのはおかしい。

 

受験勉強はメリハリが大切だと言う。しかし四六時中自担のことを考えているヲタクにメリもハリもない。

 

 

 

 

浪人生はやみくもに勉強すれば良いってもんじゃない。自分のペースが必要だ。そのペースを乱さないためのルーティーンとしてヲタ活は機能しているのではないか。

 

無理して「好き」を塞いでも、ストレスを溜めても、いつか必ず溢れてしまう。

 特に浪人生という精神的に追い詰められた状況の中では。

 

 

疲れたら休めばいい。もちろん、最も効果のある方法で。

 

 

 

 

これから浪人生として一年間頑張るみなさんへ。

 

 現役で進学してなんぼだけど、浪人も悪くはないよ。どうか最後まで踏ん張って。

 

 

 

 

 

 

あの時愛は終わりを告げたのか

 
 
 

6年経った今もこんなふうに書いてしまうということは、きっとそういうことだ。

 
 
 
 
 
当時の私は、どちらかと言うとHey! Say! JUMPではなく山田涼介が好きだという自認が強かった。良くも悪くも他のメンバーの言動や行動にはあまり興味がなかったし、だからこそ山田くんのいるHey!Say!JUMPを応援するのは楽しかった。とてもフラットな気持ちで向き合えていたから。
 
 
 
2011年は山田くんを好きになって5年ほど経っていたと思う。
高校生になった私は友人と遊んだり恋をしたりとジャニーズ以外の世界に心を奪われて、山田くんに対しても以前ほどの熱量はなかった。それでも相変わらずコンサートには足を運んでいたし、私なりに楽しんでいたつもりだ。
10人全員で初のレギュラー番組も決まり、彼らにとっても格別悪い年だという印象はなかった。
 
 
 
 
 
 
 
正直、その時の記憶はほとんどない。
 
 
記事だけが出て、当たり前のように10人で写るジャケットのシングルが発売されるのにそのプロモーション活動に彼の姿はない。TVではわざとらしく編集がかかり、心配というより怒りが頭を支配していた気がする。何も知らせてくれない事務所、他のメンバーに迷惑をかけた彼、大切なメンバーに大変なことが起きているのに沈黙を続ける彼ら、誰に対してだったかはわからない。
 
 
SUMMARY2011のゲネプロで、9人が頭を下げた。
もしかしたら嘘かもしれない、幕が上がれば10人でステージに立ってるかもしれない、それまでのふわふわした気持ちが一気に自分の一番深いところに落ちてきた。
 
 
 
 
 
初めて、悲しいと思った。
 
Hey!Say!JUMPが好きだったんだと自覚した。
 
 
 
 
私にとって日曜のお昼と言えば平成ファミリーズだし、好きな同期コンビは森山だし、誰世代と聞かれれば森本世代だと答えるのだ、今も変わらず。
 
9人になったHey!Say!JUMPを、Hey!Say!JUMPとして受け入れることは、もしかしたらまだ出来ていないのかもしれない。
 
3人ずつに分かれると綺麗に見えるのが、今も少しだけ悔しいから。
 
 
9という数字はやっぱりしっくりこない。突然召集がかかって、「今日からYOUたちHey!Say!JUMPだよ」と社長に告げられた日、そこにはたしかに10人いたはずなのだ。
 
事務所もグループも本人も、メディアも、Hey!Say!JUMPに彼がいた事実をなかったことにしないでほしいのだ。
 
 
 
 
 
そんな消化しきれない気持ちを抱えたまま、彼が表舞台に帰ってくるという知らせを受けた。
 
 

 

 

 

 

Twitterで騒がれた時も、今だって、彼が満たしたい承認欲求が他のどこでもない、芸能界にあることが嬉しかった。

 

 

 

それなのに、「元Hey!Say!JUMP」の肩書きにがっかりさせられた。

 

これから先もその肩書きを背負ってほしいと思っていたし、ファンのエゴだろうが何だろうが、それが彼の取るべき責任だと思っていた。

けれど、今は違う名前があるのに過去の名前ばかり取り上げられている現実が想像よりはるかにダサかった。

 

今もHey!Say!JUMPとして活動する9人はまだしばらく、もしくはもうずっと、彼について語ることができないかもしれないから、良いタイミングではあったと思う。しかも自分の姿で、言葉で語ろうとしてくれたことはとても嬉しい。

しかしこれではまだ新しい彼だけでは勝負できないのだとはっきりとわかってしまう。Hey!Say!JUMPの容れ物を借りて表に出てくるなんて、ダサい、ダサすぎる。

 

 

私はその時、彼の取る責任が「過去を背負う」ことではなく、彼の意思関係なく過去にとらわれることだと気づいた。そのダサさを「背負う」のだ。
 
 
 
 
 
 
 
まんまるの目とかわいらしい顔つきはあの頃と何も変わっていないのに、やっぱり昔のそれではなくなっている。懐かしさと少しの寂しさを感じながら、雑誌を閉じた。
 
月日って残酷だね。あんなに10人じゃなきゃ意味がないと思っていたのに、綺麗な9になった彼らに対する違和感が日に日に薄れていく。
 
 
 
本当に、お別れなんだね。
 
またいつか、9と1が同じ画面で見られますように。